ノラやノラやノラや

内田百閒こと百鬼園先生は、師の夏目漱石同様、いつも苦虫を噛み潰したような、不機嫌な、いかめしくも恐いような顔をしていた。しかしその随筆は、読みながらつい吹き出してしまう、声を立てて笑ってしまう。彼は漱石の「吾輩は猫である」をもじって「彼ハ猫デアル」を書いた。漱石先生の猫は水甕に落ちて死んでしまうが、百鬼園先生の猫は水甕に落ちたことが縁となって、彼の家に飼われることになる。
野良猫が子どもを生んだらしい。その子猫は母親の後をついて回り、勝手口前の物置の屋根に「降臨」した。そして夫人の使う柄杓にぴょいぴょいと飛びつき遊ぶうちに、勢い余って金魚のいる水甕に落ちてしまったのである。猫の嫌う水に濡れてしまっては可哀想で、お見舞いにご飯をやったところ、母猫は 「どうぞよろしく」と言ってどこかへ行ってしまったのである。名前が無くては可哀想で、野良猫の子だからノラと名付けた。先生はイプセンの「人形の家」のノラとは関係ないとわざわざ言う。だいたいイプセンのノラは女性だが、猫のノラは雄なのだと。また自分は別に猫好きではないとわざわざ言う。しかしノラは可愛い顔をしていて、とてもお利口なのであると言う。
先生はノラがお気に入りのお風呂の蓋の上に、わざわざ布を折って小さな布団を置いてやった。先生はちょくちょく風呂場に立ち寄り、小さな布団にくるまって顔だけ出して寝ているノラに顔を寄せ、「ノラやノラやノラや」と声をかけ、その小さな頭を撫で、頬ずりまでするのである。もう先生は猫のノラにめろめろなのであった。
先生の家の隣は小学校である。夕方ともなる拡声器で「まだ校庭で遊んでいる人々は」と子どもに向かって変な言葉遣いの放送が流れる。近所に幼稚園もあり、そこの先生も園児に向かって「男の方は女の方は」とか「すべり台を反対に登ってはいけない事になって居ります」等と変な言葉遣いをする。そこで百鬼園先生もノラに向かって言うのだ。「猫の方はここで糞をしてはいけない事になって居ります」

こうして百鬼園先生と夫人とノラの、穏やかで幸せな日々が続いた。…そのノラがいなくなった。まだ寒風の吹く三月二十七日水曜日の午後、ノラは夫人に外に出たいと鳴き、戸口を開けてやると、さっと垣根をくぐり、木賊(とくさ)の繁みの奥に消えていったのである。夕方になっても帰って来ない。夜になっても 帰ってこない。翌朝も、その午後になっても帰ってこない。夕方から雨となり夜は大雨となった。もう百鬼園先生は気に掛かってたまらず、とうとう泣き出してしまった。こんなに泣いては身体に障ると思うのだが、ノラが可哀想で涙が止まらないのである。
百鬼園先生、考えることはノラのことばかりで、もう仕事も何も手につかない、食事も喉を通らない。ノラの声が聞こえないか、戸口を手でかかないか、尾でたたかないか、耳をすまし、涙が止まらず、夜も眠れない。
かつて借金と債鬼に泣いた内田百閒先生が、姿を消した愛猫を想って泣く。「ノラやノラや」と近所を探し回る。弟子たちや、出入りの御用聞きたちにも頼んで、あちこち探してもらうがノラは見つからない。弟子が謄写版でチラシを刷り、電柱に貼り、床屋やあちこちの商店に置いてもらう。朝日新聞に広告まで出す。そんな百鬼園先生の猫探しをNHKのラジオまでが取り上げる。しかしノラは見つからない。よく似た猫がいる、ノラが見つかった等の情報が入れば、すぐ夫人や弟子たちが確認に行く。違った猫だと聞けば、先生は落胆して泣く。
今頃どうしているのだろうと、ノラを想えば涙が止まらないのである。町内の子どもたちからも情報が寄せられる。交番からもよく似た猫が見つかったとの電話が入る。夫人や弟子が駆けつけるが違う猫である。先生はまた泣き続ける。お風呂の蓋の上にしつらえたノラの布団に顔を埋め「ノラやノラや」と泣くのである。夜も涙が止まらず、そのまま子どものように泣き寝入りするのだ。こうして一月も経つと先生は二貫目ばかりも痩せてしまったのである。…昭和三十二年、内田百閒こと百鬼園先生、このとき六十八歳である。
「ノラや」は「猫」随筆の名作中の名作である。読みながら、鼻の奥がつんとして、文字がにじみ、つい「もらい泣き」をしてしまうほどである。

ちなみに百鬼園先生、ノラ失踪の寂しさと悲しみが癒えたころ、再び猫を飼うのである。その猫はドイツ語で小さいを意味するクルツと名付けられた。夫妻はクルと呼んだ。先生と夫人とクルの穏やかで幸せな日々が続いたが、クルは暑い盛りのころ病気になり、夫妻の慟哭を聞きながら可愛い小さな息を引き 取ったのである。…でも先生、どれだけノラやクルに穏やかで幸せな時間をもらったことでしょうか。
黒澤明の遺作となった映画「まあだだよ」にある通り、百閒・百鬼園先生は、法政大学のドイツ語教授だった。そして彼の師・漱石先生と同様、教え子たちは教授を辞めた先生の家によく遊びにやって来た。戦災で家を焼失し小屋暮らしをしていた先生のために、彼等は奔走して一軒家の世話をした。ノラはその 物置の屋根に降臨し、ノラが失踪すると彼等は駆けつけて師を慰め、その身体を心配した。そしてノラ探しに奔走した。教え子たちは百鬼園先生を慕い続けたのである。
…ところで、人形作家・石塚公昭の手になる「『ノラやノラや』と泣く内田百閒」を見たかったなあ。

内田百閒「ノラや」「彼ハ猫デアル」
(池内紀編「百閒随筆Ⅱ」講談社 文芸文庫所収)