「白い犬とワルツを」怪説

この一連の「虹の橋文芸サロン」は、主に動物が登場する小説などを、エッセイとして紹介している。私はひねくれているから、紹介する小説の題名をそのままエッセイのタイトルにはしない。イベントでもパッケージ化されたものをそのままやるのが嫌いで、つい弄りたくなる。だいぶ以前、中山競馬場の馬場内の特設ステージで「帰ってきたウルトラマン」をやるとき、円谷プロに掛け合い、中山当日限定タイトルで「帰ってきちゃったウルトラマン」としたことがある。これは大いに受けた。

ここで以前に紹介した邦題タイトル「白い犬とワルツを」という本も、「白い犬、見える?」とした。このタイトル、実ははなはだ不本意である。なぜなら、タイトルに困って面倒になり、文庫本の解説や帯に著しく影響を受けて、適当に付けたからである。文庫本の帯には「真実の愛の姿を美しく爽やかに描いて痛いほど胸をゆさぶる大人の童話」とあり、さらに大きな字で「あなたには見えますか?」とあった。文庫本の解説は訳者の兼武進である。
兼武は「五〇年以上もつづいた結婚生活の化身ともいうべきこの『白い犬』」とし、さらに「主人公が子供たちに尋ねたように、作者は読者に、「あなたにはこの「白い犬」が見えますか。見えるような生涯を送ってきましたか」と問いかけているのだ。そういう意味で、これは大人のためのメルヘンといってよいかもしれない。」と書いている。この訳者は実に素直な人である。私はひねくれ者だから、とてもそのような読み方はできなかった。

私の友人が「白い犬、見える?」の読後感をくれた。彼は「ひねた見方」と断りながら(ここにもひねくれ者がいた)、「白い犬がサムの死んだ奥さんだとすると、なぜ奥さんは白い犬になって戻ってきたのか?」「その犬があらわれはじめたときは、なぜ惨めそうな犬だったのか?」と問いかけていた。当然の疑問である。
実は私が「白い犬とワルツを」を読んだのは十年も前のことなのだが、その読後感は「よくわからない」であった。解説の兼武が言うように「白い犬」は「五〇年以上もつづいた結婚生活の化身」とも思えず、むろん主人公サムの幻覚でもない。またサムが死の前日に子どもたちに言うような「あれはおまえたちのママだ」とも思えない。果たして「白い犬」は何かの象徴なのだろうか。
おそらく「白い犬」の正体をいちばん言い当てていたのは、時々ピーク家にやってくる黒人女性のお手伝いさん、ニーリーであったろう。彼女はその白い犬を気味悪がり、「あの白い犬は幽霊よ」と言ったのだ。

目をつぶる。するとある光景が浮かんでくる。私は目をつぶるとすぐ睡眠状態に入る人間なので、もしかすると夢を見ているのかもしれない。まるでサム・ピークのように、目をつぶれば思考と夢が混然とするのである。

サム・ピークの家の中空に、妻のコウラが浮いている。彼女は半透明である。心配そうにピーク家を見下ろしている。頑固者の夫のサムのことが心配なのだ。するとコウラは、川のほとりの方から中空に白い半透明のものが浮き上がったのを見た。犬のようだ。「まあ」
動物好き、犬好きの彼女は「おいで、こっちへおいで」と手招きした。何かに怯えているような、痩せた白い犬だ。犬は彼女のそばに、ゆらゆらと浮遊しながら近づいてきた。犬は警戒するように、上目遣いで彼女を見た。
「あなたも私と同じ時間(ころ)に息を引き取ったのね。…あら、しばらく何も食べてなかったの? それともどこか病んでいたの? 誰かに虐められたの?」
白い犬は怯えた目で彼女を見た。
「でも、もう大丈夫よ。もう、誰もあなたを苛めないわ」…白い犬はかすかに尾を振った。コウラは犬の頭をなでた。
「あなたは、むかし、私と主人が結婚したばかりのときに飼っていた犬にそっくりね」
空の高みを指さして彼女は言った。
「一緒に上に行きましょうね」…白い犬は大きく尾を振った。コウラと白い犬はゆっくりと上に昇りはじめた。ふと、コウラの浮揚が止まった。 白い犬も彼女の動きに合わせて浮揚を止めた。
「ねえ、あなたに頼みがあるの」…白い犬は彼女を見上げた。
「ほら、あの下の家に、私の主人がいるの。ね、ほら、椅子に凭れて眠っているお爺さん。サムっていうのよ。その向こうの台所に集まっているのは私の息子や娘、その旦那さんたちよ。…子供たちは独りになったあの人を心配しているわ。パパを引き取り一緒に住もうって相談してるの」
「でも、あの人はきっと、いや俺は独りでも大丈夫だ、って一緒に暮らそうという子供たちの申し出を断るわ。きっと断るわ。すごい頑固なの。…そこで、あなたに頼めるかしら。もう一度下界に下りて、あの人の傍に行って欲しいの。大丈夫、頑固者だけど優しい人なの。動物も大好きよ。きっとあなたを可愛がるわ。私たちが最初に飼った犬にあなたがそっくりなので驚くわ」
「お願い、独りになるあの人の傍にいて欲しいの。そして独り暮らしのサムの身に、何か危急のことが起こったら、離れて暮らす娘や息子たちにそれを報せて欲しいの。…」
白い犬はくぅんと鳴いて尾を振った。
「聞いてくれるの? ありがとう、優しい子ね、あなたは…」
白い犬は何度もコウラを振り返りながら、ゆっくり下界へ、ピーク家のほうへ戻っていった。そして庭の端のエニシダの辺りに降り、その繁みに姿を隠した。
その犬の姿は、サムにしか見えなかったのだ。しかしサムに危険が迫ったとき、犬は子供たちにもその姿を見せ、彼等にその白い後を追わせるのだ。…
「ねえ、あの白い犬を見て! きっと、いつもお父さんが言っていた、あの白い犬よ。きっとあれがその犬よ」…
しかしその後も、その白い犬は娘や息子たちの眼に見えるようになっても、彼等の姿を目にすると、すぐ隠れてしまうのだった。

主題とその意義と「大人のためのメルヘン」のような口当たりの良いコピー…「白い犬とワルツを」の「解説」は訳者にお任せして、どうぞひねくれ者は「怪説」で、あれこれ空想し遊んでいただきたい。

アーカイブで「白い犬、見える?」をご覧ください。