香具師の血統論

ハイセイコーが日本ダービーで3着に敗れてから一週間ほどたった頃、私は川崎駅前の地下道でハイセイコーの名前を耳にした。現在はすっかり様変わりしているが、サイカ屋の店頭に出る、どこか薄暗く汚い地下通路だった。

声の主は潰した段ボールをゴザ代わりにし、同じく潰した段ボールを何枚も通路の壁に立て掛け、何やら色々な紙を貼り付けて黒板代わりにしていた。男は初老の、予想屋のオジサンと思われた。一人の男が彼の前にしゃがみ込み、もう一人の男は腕組みをして微笑みながら立っていた。
「だから私はハイセイコーは負けると言った!」パパンパンパン!
そのオジサンは段ボールで作った手製の張り扇で路面を叩いた。その音は地下通路に反響した。…私も入れてオジサンの聴衆は三人となった。
「私がなぜハイセイコーは負けると言ったのか…」
オジサンは私を見た。私は頷いていた。
「いいかい、ハイセイコーのお父っあんはチャイナロックだ。チャイナロックの子どもたちを知ってるかい。先ずは元祖怪物、天皇賞馬タケシバオーだ。そして天皇賞馬がもう一頭、メジロタイヨウを思い出しとくれ。ご存知天皇賞は3200の長丁場。…そして忘れちゃいけない淀の長距離3000メートル、あの野武士と呼ばれた菊花賞馬アカネテンリュウもチャイナロックの孝行息子だ!」パパンパンパン!
「そうよ兄さんチャイナロックはステイヤーだ」パパンパン!
「だけどハイセイコーも兄さんも、おっ母さんがいなけりゃこの世にゃ生まれないのは理の当然、当たりマエダのなんとやら」パンパパンパン!
「ハイセイコーのおっ母さんはハイユウだ。ハイユウのお父っあんはカリムだよ。そうよ桜花賞馬の快速タマミが代表的なカリムの娘。だけどカリムがヨーロッパに残した子どもたちは皆1400メートルまでしか勝てない短距離馬よ。カリム自身も1400が最も得意な距離だった」…
「いいかい、チャイナロックの得意な距離を3000とする、そしてカリムを1400とする。兄さん算数得意かい。足して二で割ったら幾つだい。…そうよ兄さんあんたはエライ、学がある。足して二で割りゃ2200よ」パパンパン!
「だから私はハイセイコーは負けると言った!」パパンパンパンパン!
「皐月賞は2000メートル、ダービートライアルのNHK杯も2000メートル、 だからハイセイコーは勝てたのよ」パパンパン!
「しかし東京優駿、通称日本ダービーは2400!」パンパパン!
「ここだよ兄さん、だから私はハイセイコーは負けると言った!」パパンパンパン!

もちろんその後に私は、血統とその馬の最適距離、限界距離はそんな単純なものではないと知るのだが…、その当時、競馬歴二年の私は、ソーなんだアと妙な感銘を受けてしまったのだ。その時以来、私は俄然サラブレッドの血統というものに強い興味を抱いてしまったのである。
オジサンの話は、間に入る手製の段ボールの張り扇と共に、リズムと、そこはかとないユーモアに溢れて地下通路にこだました。私はオジサンの香具師(やし)のような口上に、言いしれぬ郷愁と感動を覚えていた。それは初老の少し嗄れ声のフーテンの寅さんを思い浮かべてもらえばよいだろう。オジサンの口上は香具師のタク売そのものだった。
ひとくさりの口上が済むと、オジサンは私たち三人の聴衆に、オジサン手製の「現役馬血統解説」という本を勧めた。私は買わなかった。もうそれが幾らだったか忘れたが、私には持ち合わせがなかったのである。
でもオジサン、楽しかった。オジサン、私はあなたの口上をうまく再現できないことを残念に思う。

ちなみにその年ハイセイコーは距離3000メートルの菊花賞を鼻差で敗れ、2500の有馬記念は3着に敗れた。翌年2500のアメリカJCCは10頭立ての9着に沈んだ。もはや彼に与えられていた怪物の名は地に墜ちていた。次の1800の中山記念は2着馬が見えない大差のぶっちぎり勝ちをして見せ、3200の天皇賞は再び6着に沈んだ。
彼は常に1番人気で走っていた。しかしもう誰もハイセイコーには幻想を抱かなかった。距離2200の宝塚記念、彼は初めて2番人気に甘んじた。この日ハイセイコーは、それまでのレコードを2秒1短縮する驚異的日本レコードをマークし、2着馬を5馬身差に置き去りにした。
その後も2200メートル以内なら強い勝ち方をし、2400メートル以上では勝てなかった。ハイセイコーに関しては、オジサンの「お父っあんとおっ母さんの最適距離を、足して二で割る血統論」は正しかったのである。
オジサン、あの名調子、本当に楽しかったよ。

(この一文は2006年5月19日に書かれたものです。)