婆娑羅な馬名

ボブ・ディランやピーター.ポール&マリー(P.P.M)が歌っていた。アメリカ社会がベトナム戦争や黒人公民権運動で激しく緊張していた時代である。

Yes, how many times must the cannon balls fly
Before they’re forever banned?
どれだけの砲弾が飛んだら もう止めようと思うの
Yes, how many times can a man turn his head
Pretending he just doesn’t see?
どれだけ見て見ぬふりをして 顔をそむけることができるの
Yes, how many deaths will it take till he knows
That too many people have died?
どれだけの人が死んだら もうたくさんだと分かるの

「BLOWING IN THE WIND(風に吹かれて)」というボブ・ディランの曲である。カゼニフカレテという名の馬がいる。ブライアンズタイム産駒の二冠馬サニーブライアンの仔で、現役馬である。父内国産馬の重賞レース愛知杯を勝った。名前の故か1番人気に押されることが多かったのだが、彼はこれまでの40数戦のうち、たったの三度しか人気に応えられていない。この変わった名前の馬のオーナーは、小田切有一氏という。
父の父が医者で、馬に乗って往診していたため、馬には親しみを抱いていたという。父はマルクス主義者で評論家、作家だった。小田切秀雄である。その息子は実業家となって成功し、有名な馬主となった。

小田切氏の馬主としての初勝利はマリージョーイである。この馬も有名である。何故なら、福永洋一最後の騎乗馬であり、この落馬事故によって、不世出の天才騎手がターフを去ったからである。我々競馬ファンが福永洋一を語る際、最後に必ず出てくる馬の名がマリージョーイなのである。
小田切有一氏を馬主として有名にさせたのは、彼の愛馬への命名においてである。古くはノアノハコブネ、ラグビーボール等がいた。マリージョーイもそうだが、いずれも重賞で活躍した。ノアノハコブネはオークス馬に輝いた。馬主運が良いのだろう。命名もなかなか秀逸であった。ストーリーテラー、アーチザン、ノスタルジア、ハローグッドバイ、キラボシ…。
やがて馬名としては不思議な名がつけられはじめた。イトマンノリョウシ(糸満の漁師)、カガヤクナツニ(輝く夏に)、エゴイスト、バサラ。
このバサラあたりから、 彼の命名も「婆娑羅」になったのかも知れない。イエスマン、ピンクノワンピース、ゴマメノハギシリ、ウラギルワヨ、イイコトバカリ、キゼツシソウ…。彼の命名は ますます過激になってくる。ファンの評判に気をよくし、その期待に応えようとしたのだろう。

…ナゾ、ステップヲフンデ、ワラワセテ、アカイネクタイ、ヨロコビノサイフ、オモシロイ、バクハツダ、オミゴトデス、ヒカッテル、ナナバケ、クレヨン、コーヒーブレイク、ボンネット、メロンパン、ドングリ、スクスク、サンビョウシ、サンゴショウ、ヒコーキグモ、スバラシイキョウ(素晴らしい今日)、ウキウキ、ホオズキ、リョウリチョウ(料理長)、フウライボウ、シアワセ、オシャレジョウズ、チョウチョウフジン、ガンバリッコ、ミズノワクセイ、ボウケンリョコウ、ドンナモンダイ、ツイニデマシタ、マチブセ、エガオヲミセテ、サキミダレルノ、ボジョウ、ゴロゴロ、オジサンオジサン、ジュンジョウハート、ワスレナイデ、ウツクシイニホンニ、ウマスギル、オソレイリマス、アカイジテンシャ、コイドロボー、キャバレー、オセッタイ、オドロキノサイフ、オメデトウ、アッパレアッパレ、アシデマトイ(可哀相な名前だ)、オジャマシマス、ソウゲンノカガヤキ、デンシャミチ、オトボケ、シアワセノヒビ、ワナ、ヨロシク、ワッショイ、メガクラム(目が眩む)、ユウトウショウ、マケズギライ、カミサンコワイ(恐妻家なのだろう)、ミエッパリ、シツレン、ゲンキヲダシテ、コワイコワイ、アトデ、クウテネテ(喰うて寝て)、メシアガレ、アナタゴノミ、ハリセンボン、ゴキゲンヨー、オカシナヤツ、ゴホウビ、セイシュンジダイ、アッチッチ、ヨウシヤッタ、スゴウデノバケンシ(凄腕の馬券師)、ウソ、ソレガドウシタ、ユルセ、コレガケイバダ、サヨウナラ…。

オレハマッテルゼと命名された馬がいる。高松宮杯や京王スプリングカップを勝った現役の一流馬だ。血統も父はサンデーサイレンス、祖母はオークス馬ダイナカールと一流である。彼はこの自分の名前が嫌いだと言った。
「先輩の名前はかっこいいですよ、僕なんか…」とイヤダイヤダという名の馬が言った。イヤダイヤダもサニーブライアン産駒の現役馬である。素質馬なのだが、昨年のNHKマイルカップで骨折してしまった。あゝイヤダイヤダ。彼の母の名はモットヒカリヲ(「もっと光を」はゲーテの臨終の言葉だ)である。その母はメロンパンだ。
イヤダイヤダが自嘲気味に唄った。
「シャバディシャバダ~イェ~、昔おばあちゃんがメロンパンだった頃、お母ちゃんはもっと光をと言っていた。あゝイヤダイヤダ。 わかんねーだろうナ~」(お笑いで一世を風靡した松鶴家ちとせ師匠のノリである)
隣の馬房でカゼニフカレテが鼻で歌った。
どれだけの馬券が舞ったら もう止めようと思うの
どれだけ僕が負け続けたら 顔を背けるようになるの
どれだけハズレ続けたら もうたくさんだと分かるの
答えは吹き抜ける風の中にある…って。

(この一文は2006年6月7日に書かれたものです。)