グスタフ

メキシコ湾岸で発生した「グスタフ」と名付けられた巨大ハリケーンが、またニューオリンズなどのアメリカ南西部を襲おうとしている。ルイジアナ州をはじめ、湾岸地域に避難命令が出された。三年前に巨大ハリケーン「カトリーナ」が襲った直後、私は以下のようなことを書いた。
「ニューオリンズの被災者たちは、車社会のアメリカに暮らしながら、貧しさ故に車を所有していなかった人々らしい。ハリケーンの上陸前に避難勧告を出されても逃げ出す手段を持たなかったのである。アメリカ国内の所謂貧困層は3500万人に達するという。イギリスのサッチャリズム、アメリカのレーガノミクスと称される新自由主義が、競争原理・市場原理主義を謳いはじめてから、その数は年々増え続けている。新自由主義は金持ちと大企業を優遇した。アメリカの上位1%世帯の所得は倍増し、彼らには数度にわたり大幅な減税措置がとられた。それは彼らの富がアメリカより税の低い国に逃げない措置とされた。一方80%の世帯の所得は減少した。その減少幅は、特に下層の世帯ほど大きかった。国は「小さな政府」を目指すとして、国による公共サービスを減らし続けた。公共サービスを必要としているのは金持ちではない。公共サービスは中間層や貧困層に必要なのだ。公共サービスの一部は民営化された。こうして医療費や福祉・介護費、教育費、水道費等の負担は倍となった。民間企業は利益第一、株主第一だからである。貧困層は切り捨てられたのである。現行の経済システムの下では、貧困は貧困を再生産する。貧困層は拡大し続けるのだ。それが市場原理主義というものである。世界的に見ても、この30年間に於いて、上位5分の1と下位5分の1の所得格差は倍に広がっている。」

カトリーナが明らかにしたのは、現行の世界経済システム、市場原理主義の猛威であった。また年々巨大化するハリケーンは地球温暖化がもたらす恐怖である。神よ、環境問題や温暖化対策より経済成長の方が大事だという大国(アメリカ、ロシア、中国、インド、ブラジル等)に、憤怒の鉄槌を下したまえ。私の定義ではこれらの国は大国であり、日本は小国なのである。国土は狭く、資源もなく、食糧自給率も極めて低い、小国なのである。経済大国と言っても所有しているのはアメリカの国債ばかりである。

さて「グスタフ」と聞けば、音楽ファンならグスタフ・マーラーを、美術ファンならグスタフ・クリムトを思い出すだろう。西洋史に詳しい方なら、十七世紀のスウェーデン王グスタフ二世と十八世紀のグスタフ三世を思い起こすことだろう。
競馬ファンの私は、当然グスタフという種牡馬を思い起こす。このグスタフという馬の名の由来は、無論スウェーデンのグスタフ王から取られている。
グスタフはイギリス産の芦毛馬で、千メートルと千二百メートルの短距離ばかりを走って7戦3勝、ミドルパークSとシャンペンSの重賞を勝った。この毛色と短距離専用とも言うべきスピードは、父のグレイソヴリンから受け継いでいる。グレイソヴリンは種牡馬として、数多くの芦毛の名スプリンターを輩出した。彼の父はナスルーラと言い、短距離から中距離で10戦5勝した。ナスルーラは短距離馬(スプリンター)も長距離馬(ステイヤー)も輩出した。ナスルーラの子供たちは、その優れたスピードやスタミナと共に、度しがたいほどの気性の悪さも受け継いだ。ナスルーラの父は、イタリアのフェデリコ・テシオ(ドルメロの魔術師と呼ばれた)が生産したネアルコである。ネアルコは伊・仏で走った14戦無敗のオールマイティの名馬であり、今日のサラブレッドでこの血を受け継いでいない馬は存在しないだろう。

さてグスタフは、あまりよい子を出さなかった。その子供たちはスピードのない短距離馬が多かったのである。これはスタミナのない長距離馬同様、勝ち上がることは難しい。グスタフは不人気種牡馬だった。しかし偶然からサンピュローという牝馬に種付けする機会があって、プレストウコウという芦毛馬が生まれた。この毛色は短距離血統グスタフから受け継がれたものである。
プレストウコウは兄ノボルトウコウがそこそこ活躍していたことから、多少期待はされたのだが、「短距離血統」でありながら距離の短い新馬戦を取りこぼした。しかし三戦目の未勝利戦から条件特別の楓賞、ひいらぎ賞と三連勝した。ひいらぎ賞で敗った相手はラッキールーラだった。距離が伸びはじめた皐月賞トライアルや皐月賞(二千メートル)は敗れた。早くも距離の壁かとも思われた。
だが続くダービートライアルのNHK杯(2000)を勝ったのである。日本の軽い芝の馬場では、短距離馬でも2000メートルぐらいまでは充分持つのだ。だからダービーはさして人気にもならず(彼にはダービーの2400の距離は長過ぎると、誰もが思った)、そして惨敗した。ダービー馬となったのはラッキールーラである。

この「短距離馬」が瞠目されたのは秋以降である。セントライト記念(2000)を勝ち、続く菊花賞トライアルの京都新聞杯(2000)をレコード勝ちし、あげく長距離レースの菊花賞(3000)を驚異的なレコードで制したのだ。この菊花賞レコードはその後しばらく破られなかった。何とプレストウコウはスピード豊かなステイヤーだったのだ。
このステイヤーとしてのスタミナ、そしてクラシックレースを勝つ底力はグスタフのものではない。母サンピュローの父はシーフュリューと言う。シーフュリュー自身は大した馬ではなかったが、その父シカンブルはフランスの至宝と呼ばれた馬である。シカンブルはスタミナ豊かな長距離血統、典型的な底力血統、クラシック血統なのである。
このシーフュリューから「三本脚のダービー馬」アサデンコウや、女傑ジョセツが出ている。また母の父としてはこのプレストウコウの他、ダービー馬クライムカイザーが出た。クライムカイザーの父もマイラーのヴェンチアであった。ちなみに他の輸入されたシカンブル系種牡馬としてはムーティエ(皐月賞・ダービー馬タニノムーティエ、菊花賞馬ニホンピロムーテー、天皇賞馬カミノテシオ)、ファラモンド(皐月賞・ダービー馬カブラヤオー、南関東公営三冠馬ゴールデンリボー、東京ダービー馬トキワタイヨウ、サンコーモンド、ダイエイモンド)、ダイアトム(天皇賞馬クシロキング)がいる。まさに底力血統なのである。
その後のプレストウコウは3200の天皇賞で、鼻差でテンメイの2着となった。このレースはゲートが開いて800メートルくらい走った後に、「カンパ イ」と呼ばれる発走のやり直しがあったのである。プレストウコウにとっては 4000メートルに匹敵するレースであった。テンメイは、距離が伸びれば伸びるほど持ち味が出る典型的なステイヤーである。ちなみにその母は「トウメイ高速道路」と異名をとった女傑トウメイであった。

プレストウコウは種牡馬として殆ど人気がなかった。やがて彼は韓国の馬産振興のため、かの地に寄贈されて行った。晩年のプレストウコウの写真がある。彼は斉州島の小さな牧場にいた。風が強いのだろうか、すっかり真っ白になった彼の毛はボサボサに逆立っていた。空バケツを銜えたり振り回したりして無心に遊んでいる写真である。
彼が日本に残した数少ない産駒から、東京ダービーを勝ったウインドミルが出た。

私にとって「グスタフ」とは、先ずプレストウコウの父の名前なのである。

(この一文は2008年9月1日に書かれたものです。)