歌枕「まちかね山」

「山は をぐら山。かせ山。みかさ山…」と、清少納言は「枕草子」の中に、風趣に富んだ山々の名を連ねた。その山の名のひとつに「まちかね山」がある。 おそらく清少納言が名を挙げた山々の中で、いちばん標高の低い山は、この「まちかね山」であろう。もっとも、このくれ山、いりたちの山、かたさり山、おほひれ山は所在不詳であり、まちかね山に続く「たまさか山」も諸説あるらしい。
待兼山は北摂の小丘で、現在殆どが大阪大学の地所となっている。たまさか山はその近くの玉坂のことらしい。これも山というより待兼山に連なる丘のひとつであろう。この標高の低い待兼山も、歌枕の山としてはとても名高い。

津の国の待兼山の呼子鳥 鳴けど今来といふ人もなし (古今和歌六帖)
こぬ人を待ちかね山の呼子鳥 おなじ心にあはれとぞ聞く (詞花和歌集)
夜をかさね待ちかね山の時鳥 雲井のよそに一声ぞ聞く (新古今和歌集)
明くるまで待ちかね山の時鳥 けふも聞かでや暮れむとすらむ (続後拾 遺和歌集)

言わでもがな、時鳥は「ほととぎす」と読む。
「マチカネ」を冠にした馬たちは、競馬ファンの間でとても名高い。その珍名度に於いての人気では、小田切有一氏所有馬のいわゆる「オダギリ馬」に迫る。馬主は細川益男氏という。彼は父が大正時代に創立した細川鉄工所を継ぎ、その会社を粉体処理技術で世界的に著名な企業「ホソカワミクロン」「ホソカワ粉体技術研究所」に育て上げた。そのナノテクノロジーは他の追随を許さぬものらしい。細川氏はその分野と業界の牽引役を果たした優れた経営者であり、高名な技術者であるという。
彼が所有する競走馬に付けるマチカネは、高校時代の坂の通学路であった待兼山に由来する。マチカネタロー、マチカネタイテイ、マチカネイワシミズ、マチカネキンノホシ、マチカネイトハン、マチカネスキヤネン、マチカネサンシロー、マチカネシンセカイ、マチカネワラウカド、マチカネフクキタル…。
私は、馬主の企業名、馬主の名前の一部などを一律事務的に所有馬に付すこの冠馬名が、あまり好きでない。大馬主、大牧場ほど馬名に冠を付したものが多い。ひと頃はほとんどそうであった。アグネス、アサクサ、アドマイヤ、イイデ、ウェスタン、エイシン、エリモ、オサイチ、オンワード、カネ、クリ、シャダイ、ダイナ、シンポリ、スィート、スズ、ゼンノ、トウフク、トウコウ、フサイチ、カシュウ、タニノ、ダイワ、トーワ、…シチー、マイネル、メジロ…。時にクリオンワードなどという馬もいて、馬主が栗林氏かオンワード樫山の樫山氏か迷うほどであった。彼らは毎年たくさんの馬を購入したりデビューさせるため、一頭一頭に名前を考えるのが面倒らしい。一昨年は山、昨年は河川、今年はスポーツカーから…という風に、極めて安易に、事務的に名付けているようなのだ。
海外の競走馬の名にはこのような冠名がない。ネヴァーセイダイ「死ぬなんて言うな、頑張れ」の子がダイハード「ああ、しんど」とか、フェアトライアル「公正な審理」の子がペティション「申し立て」で、その子がコントライト「罪を悔い改める」というように、あるいはデルタブルースの母はディクシースプラッシュで、その父はデキシーランドバンド、その母はミシシッピマッド、またその父はデルタジャッジ、その母はサンドバギーというような、馬名を聞いただけで血統が分かるように、代々引き継がれる名前や、ユーモアとペーソス溢れる馬名がいい。
最近になって日本のこの弊風も改まりはじめ、慶賀の至りである。以前も紹介したが、谷水氏の馬で、タニノギムレットの娘がタニノの冠を付けずウォッカだけで登場したことも、まことに結構なことである。「ジン」のカクテル「ギムレット」よりアルコール度の「強い」酒「ウォッカ」は確かに強すぎる牝馬である。このように、馬名は一頭一頭、じっくり考えて意味ある命名をしてほしいものである。

さて細川氏が最初にマチカネの名を冠したのはトサノボリの子のマチカネオーからである。これが22戦して未勝利に終わった。馬主としての初勝利はマチカネタローで、まさに「待ちかねたろう」であった。その後毎年所有する馬は増え続け、面倒となったか、その年ごとに馬名のテーマを変えた。歴史上の英雄やおとぎ話のヒーロー、ヒロインから付けたマチカネノブナガ、…ヒデヨシ、…イエヤス、…モモタロウ、…キンタロウ、…カグヤヒメ等である。次が大阪の地名からマチカネソネザキ、ホンドーリ、ホンマチ、シンセカイ、年号・時代篇でマチカネアスカ、カマクラ、ゲンロク、モモヤマ、河川篇でエルベ、セーヌ、チクマ、オイラセ、童話・童謡篇でコイノボリ、アカトンボ、キンノホシ、カチカチ、キラキラ、キビダンゴ、ボッチャン、スギノコ、大阪弁篇でイトハン、コイハン、スキヤネン、オオキニ、ソウダッセ、テナモンヤ、ドテライ、アンジョウ、民謡篇でオイワケ、オケサ、ソーラン、ヨサコイ、チャッキリ、オペラ篇でタンホイザ、カルメン、アイーダ、ポロネーズ、文学篇でハクシュウ(北原白秋)、ドッポ(国木田独歩)、タイヘイキ、ミダレガミ、ハイネ、京都篇でギンカク、ヒエイ、ダイモンジ、ヒガシヤマ、オイデヤス、ハンナリ、時代劇篇でスケサン、カクサン、スズノスケ、ハンペイタ、歌謡篇でヨクキケヨ、ホレルナヨ、イヨマンテ、カッサイ、カネガナル、そしてミヨチャン、ピーヒャラときて、ついにはマチカネクタビレタという馬も出た。これではなかなか勝てそうな気がしない。
そんな中で、マチカネアレグロ、マチカネイシン、マチカネオーラ、マチカネキンノホシ、マチカネタイテイ、マチカネハチロー、マチカネライコー、マチカネワラウカド(笑う門には)は重賞レースを勝ち、マチカネタンホイザは高松宮杯に優勝した。何と言っても出世頭は菊花賞に優勝したマチカネフクキタル(福来たる)(※)であろう。種牡馬になったのはマチカネタイテイ、マチカネイワシミズ、マチカネフクキタルである。マチカネイワシミズはゲームの「ダービースタリオン」で、種付け料無料の種牡馬として人気者になった。彼は脚部不安のため本格化することなく、重賞も勝てなかったが、何しろこの馬は天才・福永洋一の騎乗で皐月賞を勝ったハードバージの全弟で、有馬記念に優勝した名牝スターロッチの血を引く良血馬だったのである。

(※)このマチカネフクキタルが菊花賞を勝った年はレベルが低かった。その春、皐月賞をサニーブライアンが勝った時、私は以前に似たようなシーンを見たことがあると感じた。それはカツトップエースという不人気馬が皐月賞を勝った時のことである。果たしてダービーでもそれが再現された。カツトップエースが不人気のままダービーを先行逃げ切り勝ちしたように、サニーブライアンも全く同様のレース運びでダービーに優勝したのである。カツトップエース世代も、サニーブライアン、マチカネフクキタル世代もレベルが低かったのだ。
細川氏の馬は確かに珍名ぞろいだが、風雅な歌枕とは言え、やはりマチカネという冠名と、今年は「○○篇」で、という命名の安易さが気になる。一頭一頭にニヤニヤしながら名付けたであろう、小田切氏の命名努力には敵うまい。ノアノハコブネ、ラグビーボール、ノスタルジア、ストーリーテラー、アーチザン、ハローグッドバイ、キラボシ、サンゴショウ、ボジョウ、…良い名ではないか。イトマンノリョウシ、カガヤクナツニ、ソウゲンノカガヤキ、エゴイスト、バサラ、イエスマン、アカイジデンシャ、アカイネクタイ、ピンクノワンピース、ホオズキ、ヒコーキグモ、セイシュンジダイ、ステップヲフンデ、エガオヲミセテ、ゲンキヲダシテ、カゼニフカレテ…面白い名ではないか。
オモシロイ、バクハツダ、ウキウキ、ワッショイ、イイコトバカリ、シアワセノヒビ、オミゴトデス、スバラシイキョウ、メガクラム、ゴキゲンヨー、ヒカッテル、ヨロコビノサイフ、シアワセ、ワスレナイデ、ウツクシイニホンニ、ボウケンリョコウ、フウライボウ、ユウトウショウ、ヨウシヤッタ、ドンナモンダイ、ツイニデマシタ、アッパレアッパレ、スゴウデノバケンシ、ワラワセテ、オカシナヤツ、ゴホウビ、キャバレー、オセッタイ、オメデトウ、ハリセンボン、ドングリ、メロンパン…ふうむ。オシャレジョウズ、アナタゴノミ、サキミダレルノ、マチブセ、コイドロボー、ジュンジョウハート、キゼツシソウ、シツレン…う~ん。オジサンオジサン、アトデ、コワイコワイ、カミサンコワイ、オトボケ、ヨロシク、ミエッパリ、メシアガレ、クウテネテ、ゴロゴロ…。ナゾ、ワナ、ウマスギル、アッチッチ、ウソ、ウラギルワヨ…この馬券はちょっと買いづらい。ゴマメノハギシリ、オソレイリマス、オジャマシマス、イヤダイヤダ、アシデマトイ…これはちょっと可哀相な名だ。ソレガドウシタ、ユルセ、コレガケイバダ、サヨウナラ…。冠を付けなくても、たちまち「オダギリ馬」だと知れるのだ。

朝まだき待ちかね山のいななきに 笑ふ門には福来たるとぞ (本歌鳥拾遺)

(この一文は2009年6月8日に書かれたものです。)