競馬から見えたこと

「人間は、もっぱら逃走に参加するその程度に応じて存在しているに過ぎない。ひとりの人間が生きている…そして彼は生きているというそのことによって逃走している。生きるということと逃走しているということが一つになっているのだ」(「神からの逃走」)……マックス・ピカートはドイツの哲学者である。彼はあらゆることに現代の実相を把握し、詩的言語でその思想を語った。

昨年の十一月、オーストラリアいや南半球最大の競馬「メルボルンカップ」が行われたフレミントン競馬場のファンは、呆然とし、そして騒然とした。一着馬は日本の菊花賞馬のデルタブルース、二着は寂しがり屋のデルタブルースのために同行した同厩舎のポップロックだったからである。彼等の戦前の評価は低かった。彼等の活躍は、日本の競馬の国際化、グローバリズムそして規制緩和の象徴でもあった。
デルタブルースの鞍上は、その年の春、兵庫の地方競馬から中央競馬に移籍を果たしたばかりの岩田康誠である。公営地方競馬の騎手が中央競馬(JRA)に移籍するということは、古い競馬ファンにとって実に隔世の感がある。それは地方と中央の交流が図られるようになり、さらに規制の緩和が行われ、笠松競馬の一流騎手・安藤勝巳が先鞭をつけたものである。安藤に続き、小牧、赤木が移籍し、そして岩田が続いた。

地方競馬でどれほど活躍しても、全くと言ってよいほど注目はされない。中央競馬(JRA)の騎手が開催のある土日にのみ騎乗するに対し、地方競馬の騎手はほとんど毎日レースに乗っている。そしてどんなに勝っても、その年収はJRAの中堅騎手にも及ばない。賞金額が全く違うのだ。
かつて安藤はオグリキャップで勝ちまくったが、中央の馬主が数億円でオグリを買って中央に移籍させた。オグリキャップはたちまち中央のファンの心をつかみスターホースとなったが、安藤は二度とオグリに騎乗できなかったのだ。
やがて中央地方の交流レースが開催され、さらに規制緩和で騎手の地方から中央への移籍が可能になったのである。良い馬に乗りたい、大きな競馬場で大きなレースに出たい。そして地方競馬に未来はない。安藤も小牧も赤木も岩田も、未来のない地方競馬を捨てたのである。

こうして岩田は小さな公営兵庫競馬から中央競馬(JRA)のトップジョッキーに躍り出、さらに南半球最大のレースを制したのである。岩田は光である。凱旋門賞3着のディープインパクトも光である。日本でディープインパクトを唯一負かしたハーツクライは、ドバイの大レース、シーマカップを制した。彼も光である。
三条、岩手、上山、足利、高崎、益田、岩見沢、北見、宇都宮…と公営地方競馬が次々と廃止されている。減り続ける入場者と馬券の売上げ、累積する赤字のためである。地方競馬場の廃止は、そこで生活していた調教師、騎手、厩務員らとその家族五百人から千人のコミュニティの崩壊を意味する。馬一筋の職人たちの転職は容易でなく、再び競馬の生産や調教の仕事に就ける者は数人に過ぎない。これが影である。

廃止前の宇都宮競馬に見切りをつけた藤本靖という騎手がいた。藤本は目立った活躍をしていたわけではない。彼は騎手を辞め居酒屋で働いた。しかしやっぱり馬に乗りたい、騎手に戻りたい。だが一度騎手を引退した藤本には、すでにJRAに移籍する資格はなかった。彼はオーストラリアに渡った。オーストラリアの騎手養成学校で英語を学びながら再び騎乗の訓練を受けた。晴れて騎手免許を取得し、ニューサウスウェルズ州の地方競馬場でデビューを果たすが、落馬負傷し、未勝利のまま長期の入院生活を送らざるを得なかった。昨年六月、怪我から復帰し初勝利を挙げた。この年4勝を挙げたが、彼の所属は地方の草競馬に近く、その賞金額は微々たるものである。藤本の境遇は厳しい。

藤本靖は、地方の沈滞、地方都市商店街のシャッター通りの激増、地方財政の破綻、中央と地方格差(都市も競馬も)、勝ち組と負け組、残る不合理な高い規制の壁、グローバリズム等の象徴なのである。地方競馬場の廃止と地方都市の駅前のシャッター通りは重なるのだ。人材と技術流出や果てしない価格競争に苦慮する地方企業と、地方財政の破綻と重なるのだ。地方コミュニティの消滅と重なるのだ。
未来のない地方競馬から逃走した岩田と、同じく逃走した藤本は象徴に過ぎない。生活上の制約や勇気から、逃走を断念した多くの人たちも、ひとつの象徴に過ぎないのだ。
「人間は、もっぱら逃走に参加するその程度に応じて存在しているに過ぎない」

(この一文は2007年5月16日に書かれたものです。)