競馬場の人間

競馬場でレースを観戦することは楽しい。ガラス張りの居心地のよいスタンドで観戦するのもよいだろうが、スタンドの一番下のたたきで、コースの柵にしがみついて見るのも楽しいだろう。眼前を馬たちが、地響きと砂埃を立てて走って行くときの迫力は素晴らしい。鞭の音も聞こえるし、砂埃とともに馬の匂いもする。東京競馬場なら日吉ヶ丘の芝の傾斜地に陣取れば、4コーナーをまわる馬たちの迫力を目にすることができるだろう。
競馬場は、馬券の的中やレースの推理、観戦のみが楽しいのではない。競馬場に集まる人間を観察するだけでも、実に見飽きることはない。私はイッセー尾形に競馬場人間観察という一人芝居でやってもらいたいと思っていた。一度彼の事務所に掛け合ったが断られた。

以前は競馬場のパドックやスタンドで、偶然隣り合わせた見ず知らずのファン同士の自然な会話があった。問わず語りに隣人に話しかけるのである。また独り言である場合もあり、その独り言を耳にした隣人も、また聞こえるような独り言で応えるのである。こうして不思議なコミュニケーションが成立する。最近これらの状況を余り見かけないのは、昨今の現代人の対人性向が変化しているからだろう。

例えばパドックでは見ず知らずの隣人同士でこんな会話が行われる。
「今日は落ち着いてるね、この前はイレ込んでたからね、今日は狙えるよ」
「ちょっと太いんじゃない?」
「うんにゃ、○○賞の時もこんな感じだったな」
「今日は距離が持つかなあ、無理だと思うよ、俺は買わないね」
「○番と○番がよく見えるね。よし決めた。この二頭は押さえた方がいいな」
「ぐいぐいと歩様が力強いね。トモの送り具合がいい」
「見なよ、鶴っ首で良い具合に気合いがのってるね。今日は走るよ。よしこれから総流しだ」
「少しガレてるんじゃない? ありゃ絞り過ぎだな」
「ぎりぎりに仕上がってる?」…
私は最初このように話しかけられた時に、これが俗に言う「コーチ屋」稼業かと思って身構えた。しかしどうも違うらしい。自らが長年鍛えた相馬眼の蘊蓄を語りたいという、この人たちに特有の癖なのである。おかげで私はパドックで、ごく自然に馬の見方や用語を学んだ。
かつて競馬場には、「コーチ屋」も「拾い屋」も「泣き屋」もいたが、最近彼等の姿はほとんどど見かけなくなった。この稼業については別に書く。

スタンドのたたきも楽しい。ゴール3ハロン前か2ハロン前から「そのまま!そのまま!」と叫び続ける人がいる。「そのまま! そのまま! そのまま! そのままあ〜あ〜あぁ…」と落胆する人もいる。彼の口は「そのまま」しばらく開いたままである。
スタートから1ハロンも行かぬうちに「よし、そのまま!」と叫ぶ人がいる。
「そのまま」の順位でゴールまで持つことは、ほとんどあるまい。
時には、ゲートが開いた直後に「よ〜し! そのまま、そのまま!」という人さえいる。思わず笑ってしまう。彼の買った馬券は、スタート直後に早くもその着順を完成させているわけである。無論、最初のコーナーを回り、向こう正面と展開が動いた時点で彼は落胆することとなる。

「早い早い」「遅い遅い」「まだ行くな、まだ行くな」「抑えろ、抑えろ」と、騎手と馬に命じる人がいる。「あ〜引っ掛かってるよ、下手くそ…」と批評する人もいる。ゴール後には騎手批評を展開するに違いない。「○○騎手はまだ若いね、あいつは展開が読めないンだ」「仕掛けが早すぎるよ、馬鹿、アホ、ボケ」
ゴール1ハロン前から「いけー、いけー」と叫び、馬たちがゴールに雪崩れ込むや「よーし!」と、天に拳を突き上げたりガッツポーズをとる人がいる。馬券が的中したのかと思いきや、手にしていた馬券を全て破り、その紙吹雪を空中にまき散らす。ややこしい癖である。
「ユタカー、ユタカー!」と叫び続ける人もいる。武豊騎手のことなのか吉田豊騎手のことなのか分からない。無論「オグリー! オグリー!」と馬名を叫ぶ人もいる。
4コーナーからゴールまで「わーわーわー」と叫び続ける人がいる。具体的な馬の名や騎手の名を叫ぶのではない。「いけ〜」「そのまま!」と明瞭な言葉や単語を叫ぶのでもない。ただ無闇に「わーわーわー」と叫ぶのみである。スタンドの大歓声とは、こういう叫び声の、数万人の、時に12、3万人の総和なのである。

(この一文は2006年6月5日に書かれたものです。)