次なる歌劇の開演を

カナダの名馬ノーザンダンサーは、明らかにロシアの天才ダンサー、ニジンスキーを意識して名付けられたものだろう。そのノーザンダンサーを一躍世界的名種牡馬にした産駒はイギリスの三冠馬ニジンスキー、イギリスとアイルランドのダービー馬ザミンストレル(吟遊詩人)であり、サドラーズウェルズだろう。いずれも中長距離に強く、晩成型というより持続する成長力があり、力のいる馬場や、大レースに強い底力血統である。彼等、そして彼等の産駒の多くはヨーロッパを中心に大活躍した。サドラーズウェルズはその典型で、競走成績をはるかに上回る種牡馬実績を挙げ、イギリス、アイルランド、フランスで計17回もリーディンサイヤーに輝いた。
しかしこれらの重厚な底力血統は日本の競馬に合わず、ほとんど成功していない。ニジンスキーの直仔マルゼンスキーは素晴らしく強く、菊花賞馬ホリスキー、ダービー馬サクラチヨノオー、菊花賞馬レオダーバンを輩出したが、残念なことにそこから後が続かなかった。またニジンスキー産駒で欧州の歴史的名馬と言われたラムタラは大失敗に終わっている。サドラーズウェルズ系も日本での成功は難しいと思われていた。
サドラーズウェルズ産駒オペラハウスはイギリスのGⅠレースを3勝した。このような重厚な血を輸入するのは、日本軽種馬協会(かつては農水省所管、現内閣府所管)のような利益を超えた団体(現公益社団法人)でなければ難しい。オペラハウスは1994年から日本軽種馬協会で供用された。
ちなみにノーザンダンサー産駒サドラーズウェルズの名は、ロンドンのバレエやオペラを上演する劇場名である。その産駒オペラハウスの名は無論ロンドンのロイヤル・オペラハウス劇場である。

竹園正継は鹿児島県垂水町の出身。青年時代からの発明好きで、建築補強材の特許を獲ってテイエム技研を設立し、順調にその事業を拡大させてきた。競馬好きな竹園は、テレビでダービーを見ていた。バンブーアトラスが優勝し、その騎手のインタビューを見て吃驚した。それは花屋の店員になったはずの幼馴染み、岩元市三だったのである。竹園は馬主になって「市ちゃん」に再会しようと心に決めた。1987年、竹園は中央競馬の馬主資格を取り、幼なじみの岩元に再会した。
岩元は垂水町生まれ、母子家庭の長男で、中学を卒業すると大阪に出て花屋の店員になった。園田競馬場の競馬を見て騎手になることを決意し、中央競馬の布施正調教師に弟子入りした。騎手免許取得は27歳の時という苦労人である。生涯勝利度数578勝を挙げ、1989年に厩舎を開業した。
竹園は岩元の師匠・布施調教師に馬の見方を学び、布施師の牧場めぐりに同行して相馬眼を養い、自ら馬を見て選んで購入することにしていた。彼はなるべく中小牧場の馬を見て歩き、購入することが多くなった。しかしその中から、何頭もの「テイエム」の活躍馬を見出していったのである。
日本軽種馬協会の種牡馬産駒の牡は、全てセリに出すことが義務づけられている。1997年秋のセリで竹園は、杵臼牧場生産の父オペラハウス、母ワンスウェド(母の父ブラッシンググルーム)の牡駒に目を付けていた。牧場で見たその栗毛の牡駒は、金色に光って見えた。血統もなかなかではなかろうか。しかし日本では成功していないサドラーズウェルズ系オペラハウスと、母ワンスウェドの評価は低かった。セリのスタート価格は1000万円で、竹園が手を挙げたが誰もセリ掛けてこない。その馬はそのまま竹園の手に入った。
その同じセリでアイルランド産の父ビッグストーン、母プリンセスリーマ(母の父アファームド)という血統の馬も出た。しかしこれもかなり評価が低く、格安の500万円で「メイショウ」の松本好雄が手に入れた。
やがて生涯のライバルとなるテイエムオペラオーとメイショウドトウは、こうして馬主が決まり、競走馬としてのスタートを切ったのである。

岩元に預託されたテイエムオペラオーは、98年8月、厩舎所属で21歳の和田竜二騎手を鞍上に、京都の新馬戦でデビューした。1番人気だったが大きく離された2着に敗れ、しかも骨折してしまった。
年明けの再起戦二走目の未勝利戦を勝ち、その後連勝して重賞の毎日杯を勝って、急遽クラシックの追加登録料を払って皐月賞に出た。重賞連勝中のナリタトップロード、良血馬アドマイヤベガの有力馬を相手に、オペラオーは中団から鋭く伸び優勝した。竹園オーナーも和田も、そして杵臼牧場も初めてのクラシック制覇である。
ダービーの人気は、皐月賞馬なのにナリタトップロード、アドマイヤベガに次ぐ3番人気だった。もし勝てば、和田竜二は史上最年少のダービー騎手となる。先ずオペラオーが馬群を抜け出したがトップロードに競り負けた。そして二頭とも後方から飛んできたアドマイヤベガに差されてしまった。
秋初戦は古馬と対戦した京都大賞典を3着、肝心の菊花賞は後方から追い込んだが、ナリタトップロードに届かず2着に敗れた。野平祐二は「オペラオーは三冠馬になれる器だった」と、言外に騎手の技倆不足をにおわせた。
それまで竹園は、岩元調教師が若い和田を乗せ続けることに口を挟んだことはなかった。しかし菊花賞敗戦は和田の騎乗ミスだとし(どこがミスだったのか、位置取りが後ろ過ぎたと言うのだろうか)、ベテラン騎手に替えろと岩元に迫った。岩元は「和田を育てたい。どうしても替えろと言うなら、厩舎を替えてください」と言った。
竹園も分かっていたのだ。若い騎手を育てるためには騎乗機会を増やすこと、そして強い馬に乗せること、そして強い馬が騎手を育てるのだ。竹園は和田竜二を乗せ続けることに同意した。その後も竹園オーナーは調教師の意思を尊重し、厩舎所属の若手騎手やフリーでも若手や騎乗機会に恵まれない騎手を起用すること多く、無闇に騎手を替えることもしなかった。
さてオペラオーはその後のステイヤーズSも2着だった。しかし陣営は敢然と暮れの有馬記念に挑戦した。ここもグラスワンダー、スペシャルウィークとタイム差なしの3着に終わった。このメンバーでは好走、力走と言っていい。

2000年は2月の京都記念から始動し、ナリタトップロードを破って優勝した。続いてラスカルスズカを破って阪神大賞典を勝ち、二つ目のGⅠ・春の天皇賞もラスカルスズカを破って制覇した。続いて、古馬になって成長著しいメイショウドトウを相手に宝塚記念を勝ち、三つ目のGⅠを制覇した。やがてこの二頭は、何度となく死闘を繰り広げるのである。
秋は京都大賞典でナリタトップロードを破って勝ち、秋の天皇賞もメイショウドトウを退けて四つ目のGⅠ制覇。ちなみに、このときドトウの鞍上は札幌での飲酒危険運転で騎乗停止・謹慎中の主戦の安田康彦に替わり、オールカマーから的場均が騎乗していた。
続くジャパンカップも、騎乗停止が解けた安田メイショウドトウと激しい叩き合いを演じてクビ差で勝った。これで五つ目のGⅠ制覇。暮れの有馬記念も、再びメイショウドトウとの壮絶な競り合いをハナ差制して、六つ目のGⅠ制覇である。2000年は8戦して全勝、うちGⅠを5勝。
テイエムオペラオーは精神的にムラがなく、レース中に決して「ソラを使って」遊ぶことなく集中し、スピードもあるがスタミナに優れ、速い脚を長く持続でき、何より凄い勝負根性を持っていた。
2001年は春の大阪杯から始動した。当然1番人気に推されていたが、トーホウドリームの4着に敗れ連勝は止まった。続く春の天皇賞は再びメイショウドトウと凄まじい追い競べをし、0.1秒差で退けた。あの偉大なシンボリルドルフに並ぶ、七つ目のGⅠ制覇である。
続く宝塚記念は、ゴールに驀進するメイショウドトウを激しく追撃したものの、今度は0,2秒差で敗れた。メイショウドトウに騎乗した安田康彦は1番人気のオペラオーを負かしたことを笑顔でファンに詫びた。
秋は京都大賞典から始動してこれを勝ったが、続く天皇賞・秋は二世代下のアグネスデジタルの2着に敗れ、ジャパンカップも二世代下のダービー馬ジャングルポケットの2着に敗れた。引退レースとなった有馬記念も二世代下のマンハッタンカフェの5着に敗れ、その掉尾を飾れなかった。
26戦14勝、獲得賞金は18億3500万円余。これは2015年現在の日本記録であり、世界記録でもある。特別報奨金を加えれば20億円を超える。ちなみにメイショウドトウの獲得賞金は9億2130万円余であり、特別報奨金を加えると10億円を超える。
2002年1月、京都競馬場でテイエムオペラオーとメイショウドトウの「合同引退式」が行われた。二頭でパドックを周回し、本馬場に出てターフを疾走。関係者みんなで口取りの記念写真撮影、そして和田と安田の主戦騎手、調教師、厩務員同士が握手を交わした。なかなか粋な演出である。
「オペラオーからたくさんの物を貰ったが、何も返せなかった。一流の騎手になってオペラオーに認められるようになりたい」と和田竜二は言った。

これだけの馬だったにもかかわらず、テイエムオペラオーには熱烈なファンが少なかった。美しい栗毛にもかかわらず、華やかさやスター性に欠けていたのだろうか。理由はよく分からない。ライバルの一頭アドマイヤベガは故障で消え、古馬として対戦することはなかった。ナリタトップロード、メイショウドトウとは激闘を繰り返した。決して弱い世代ではない。
オペラオーは、シンジケートを組み社台スタリオンで種牡馬入りすべく調整されたが、社台との話し合いは不調に終わった。おそらく社台とすれば、ノーザンテーストを通したノーザンダンサー系の良質で優秀な牝馬が多く、同じノーザンダンサー系サドラーズウェルズとオペラハウスを通したオペラオーは配合の魅力が薄く、日本の高速競馬に合わぬ血統と見たのだろう。
竹園オーナーは北海道と鹿児島に自ら生産牧場を運営している。彼はオペラオーを当初は北海道の自場に繋養して、安い種付料で供用することにした。しかし社台・ノーザンファームのように、良質で優秀な牝馬を数多く集めることはできない。当然、種牡馬成績は思うように上がらない。サドラーズウェルズ劇場やロイヤル・オペラハウス劇場のように、カーテンコールで再び幕が開き、オペラオーにまた光が当たることを期待したい。
そして、さあ次なる歌劇の開演を。