TTGの時代

1976年1月31日の2回東京、芝1400の4歳(現馬齢3歳)新馬戦は、その後さまざまに伝説的に語られたのである。
この新馬戦は、後にTTG時代、三強時代と呼ばれた3頭の内、保田隆芳厩舎のトウショウボーイと中野隆良厩舎のグリーングラスのデビュー戦だった。また、松山吉三郎厩舎のシービークインのデビュー戦でもあった。
シービークインはデビューから3戦は竹原啓二騎手が手綱をとり、その後は吉永正人騎手と竹原が主戦を務めた。シービークインはずっとトウショウボーイの直後を走り続け、ゴール前で力尽き5着に敗れた。グリーングラスは4着であった。トウショウボーイはローヤルセイカンに3馬身差をつける楽勝である。
伝説の一つは、このレースが初対面のトウショウボーイとシービークインの恋である。パドックを周回しながら、この二頭の目が何度も合っていたというのである。後年トウショウボーイとシービークインの間に、中央競馬史上三頭目、シンザン以来19年ぶりの三冠馬ミスターシービーが誕生した。
ちなみにシービークインは、女性競馬記者・鈴木みち子と吉永正人騎手の結婚を後押しというのである。当初二人の結婚にみち子の母親が大反対し、彼女は苦悩していたらしい。しかし吉永を背に懸命に走るシービークインの姿を見て勇気を得、母を説得し、結婚に踏み切り「気がつけば騎手の女房」になっていたのだ。吉永正人はシービークインで重賞を3勝した。

トウショウボーイ、グリーングラスがこのデビュー戦を迎えたとき、TTGのもうひとつのT、小川佐助厩舎のテンポイントは、すでに関西期待のスターホースになっていた。西の3歳(現馬齢2歳)のチャンピオンなのである。関西テレビの杉本清はこう叫んだ。
「さあ、これから差が開く、差が開く。見てくれこの脚、見てくれこの脚!
これが関西の期待テンポイントだ! テンポイントだ! 強いぞ強いぞ,テンポイントだ! テンポイント1着!…強い強い! テンポイント3連勝です! 3連勝です! テンポイント快勝です!」
テンポイントもまた伝説の馬であった。母は桜花賞馬ワカクモ。祖母クモワカは桜花賞2着の活躍馬だったが、熱発し伝染性貧血症(伝貧)と診察され、殺処分命令が出された。山本オーナーはこの診察と処分命令が納得できず、クモワカを隠した。やがてクモワカは回復し、吉田牧場に移され繁殖に入った。しかしもしクモワカが真性伝貧であったら、日本の馬産界は大きなダメージを被ったであろう。クモワカは殺処分されたことになっていたため、血統登録は抹消されている。山本オーナーと吉田牧場は、クモワカ登録復活の裁判を起こした。裁判は長引いた。その間、クモワカが生んだ何頭かの子どもは登録されない。やがてクモワカの登録復活の判決が出された。その後に生まれたのがワカクモだったのである。こうしてワカクモは幽霊の娘と言われながら桜花賞に優勝し、繁殖にあがって、テンポイントが生まれた。
やがてテンポイントは鹿戸明騎手で5戦全勝、トウショウボーイは池上昌弘騎手で3戦全勝のまま、最初のTT対決の皐月賞を迎えた。
トウショウボーイはあのテンポイントに、軽く5馬身差をつけ圧勝した。何という強さであっただろう。
トウショウボーイの母ソシアルバタフライは、すでに重賞勝ち馬トウショウピットやオークス2着のソシアルトウショウも出しており、名牝中の名牝とされた。父テスコボーイはランドブリンス、キタノカチドキに続いて三頭目の皐月賞馬を出し、大種牡馬の仲間入りをした。
ダービーはやはりトウショウボーイの二冠なるか、それともテンポイントの巻き返しなるかの二頭の闘いと思われた。グリーングラスの戦績では出走も叶わなかった。しかしTTにクライムカイザーという伏兵が現れた。
トウショウボーイは2着に敗れ、テンポイントは7着に沈んだ。テンポイントは脚を痛めていた。4歳春のクラシック、ダービーが終了した時点で、グリーングラスはたったの1勝馬に過ぎなかった。

トウショウボーイは夏の札幌記念に出走し2着に敗れ、この敗戦で池上騎手は降ろされ、秋から福永洋一の騎乗となった。トウショウボーイは神戸新聞杯、京都新聞杯の2戦ともクライムカイザーを斥け、菊花賞に備えた。
テンポイントには逞しい回復力があった。彼は京都大賞典から始動し、古馬たちと闘って3着になり、菊花賞に備えた。
グリーングラスの鞍上は、その秋から安田富雄が主戦となった。菊花賞の三週間前、鹿島灘特別(600万下)古馬混合レースで3勝目をあげ、やっと菊花賞に出走できる賞金額に達した。
TTG三頭が顔をそろえたのは、菊花賞が最初である。1番人気はトウショウボーイ、2番人気はクライムカイザーが推され、テンポイントは3番人気だった。グリーングラスは12番人気に過ぎなかった。つまりノーマークということである。
4コーナーを回るとトウショウボーイとテンポイントが抜け出した。やはりこの二頭の闘いだ。淀の4コーナーを回るとき、大きく内が開くのがこのコースの特徴だ。関テレの杉本アナは叫んだ。
「早くも第4コーナーをカーブした。テンポイントかトウショウボーイか、クライムカイザーか! 内へ一頭、内へ一頭ハマノクラウドか! さあこのあたりテンポイントが先頭か! テンポイントが先頭か!」
彼には馬群を抜けて馬場のど真ん中を走るテンポイントと、それを追うトウショウボーイだけしか見えなかったのではないか。内を突いてくる大きな黒馬が何なのか、分からなかったに違いない。
「テンポイントが先頭に立っている! テンポイントが先頭だ!」…しかし
私には、馬場の真ん中のテンポイントより、離れた内ラチ沿いを進む馬のほうがわずかに出ているように見えた。…「内からグリーングラス! 内からグリーングラス! さあテンポイント先頭だ、テンポイントだ、テンポイントだ、テンポイントだ! それ行けテンポイント、ムチなど要らぬ! 押せ!
テンポイント先頭だ! テンポイント先頭!」
…しかし誰の目にもインコースのグリーングラスが前に出ているように見える。杉本アナは絶叫した。「内からグリーングラス! 内からグリーングラス! テンポイントかグリーングラス! グリーングラスが先頭だ! グリーングラス、グリーングラス1着! テンポイントは2着! グリーングラスです、内を通ってグリーングラスです!」…
英セントレジャー馬インターメゾを父に持つ長距離血統、成長力のある晩成型の血、夏から秋の上がり馬。グリーングラスは「第三の男」と呼ばれた。
暮れの有馬記念はグリーングラスが回避し、菊花賞で3着に敗れたトウショウボーイが武邦彦を主戦騎手に迎え、テンポイントを力でねじ伏せるようにして勝った。

古馬となったテンポイントは京都記念、鳴尾記念と圧勝し、春の天皇賞を迎えた。グリーングラスはアメリカJC杯をレコード勝ちし、目黒記念はカシュウチカラの2着で天皇賞を迎えた。トウショウボーイは馬体の立て直しのため休んでいる。この天皇賞はテンポイントがクラウンピラードを破って制覇し、グリーングラスは4着に敗れた。
再びTTGが顔をそろえたのは宝塚記念だった。休み明けで2番人気のトウショウボーイが勝ち、テンポイントが2着、グリーングラスは3着だった。
秋の天皇賞はホクトボーイが優勝し、グリーングラスは5着、1番人気のトウショウボーイは7着に惨敗した。
再び有馬記念で三頭が顔をそろえた。このレースほど見応えのある有馬記念はない。まるでTTのマッチレースのようになり、今度はテンポイントが優勝した。3着はグリーングラスだった。このレースでトウショウボーイが引退した。翌1月の日経新春杯でテンポイントは競走を中止し、闘病空しく亡くなった。
その春の天皇賞はグリーングラスが制した。さらに7歳になった翌年暮れの有馬記念は、グリーングラスの引退レースでもあった。鞍上は大崎昭一騎手である。グリーングラスは後輩の馬たちに、TTの強さを教えるかのように、彼等を着差以上の強さで抑え込んで勝った。どうだ、この俺より、TTは強かったのだ、とでも言うように。
「三強」と呼ばれて盛り上がるレースや、年はいくらでもある。しかしTTGが走っていた複数シーズンは、「三強時代」と呼ばれたのである。この同世代のTTG三頭は、いずれも有馬記念を制覇した。まさに「三強時代」こそ彼等の代名詞にふさわしいと思われる。