童謡のことなど

源兵衛が 練馬村から/大根を 馬の背につけ/お歳暮に 持て来てくれた
源兵衛が 手拭でもて/股引の 埃をはたき/台どこに 腰をおろしてる
源兵衛が 烟草をふかす/遠慮なく 臭いのをふかす/すぱすぱと 平気で
ふかす
源兵衛に どうだと聞いたら/さうでがす 相変らずで/こん年も 寒いと
言った
源兵衛が 烟草のむまに/源兵衛の 馬が垣根の/白と赤の 山茶花を食った
源兵衛の 烟草あ臭いが/ 源兵衛は 好きなぢゝいだ/源兵衛の 馬は悪馬だ

これは「童謡」と題された夏目漱石の作である。明治三十八年「ホトトギス」の一月号に「吾輩は猫である」と共に掲載された。「日本童謡集」(与田準一編・岩波文庫)によれば、大正七年に鈴木三重吉が興した「赤い鳥」運動以前の、童謡らしい創作の動きの魁をなす。
「ホトトギス」は明治三十年に正岡子規の友人・柳原極堂が起こした俳句誌で、子規や高浜虚子らが選者となった。子規は連句に否定的であったが、彼の死後、虚子が連句を新体詩とする復興運動を興し、漱石もそれを支持した。雑俳好きの漱石が面白がり、また「ホトトギス」を仲間内の気楽な投稿誌とみなし、連句形式で詩を書いてみたに違いない。漱石はこれを新体詩ならぬ「俳体詩」と命名し、虚子もその名称を使用した。漱石のそれ以前、「童謡」という言葉は全く使用されておらず、子どもの唄は「童(わらべ)唄」と呼ばれていた。

童謡「サッちゃん」で知られる阪田寛夫によると、「童謡」はおそらく中国から入った千年以上の歴史的言葉で、「日本書紀」に初出する。「わざうた」と読まれ、政治的諷刺詞の意味を持つらしい。ちなみに「唱歌」は「しょうが」と読まれていたという。
先に「虫愛づる姫君」で、姫君は童たちに蟷螂や蝸牛など他の虫たちも集めさせ、彼等に「かたつぶりのお、つのの、あらそふや、…」と、叫き散らすように歌わせて、それを笑いながら聴き、やがて自分も諳んじて、いっしょに楽しげに大声で歌う…と書いたが、あれこそは本当の童唄で、今日の童謡に違いない。平安後期の話である。
それにしても漱石の「俳体詩」という命名や、ほとんど新語に近い「童謡」という言葉を使用したことは、流石というほかない。またこの「ホトトギス」に掲載された「吾輩は猫である」は、口語体文章日本語の豊かな表現の可能性を示し、「童謡」は、和歌や俳句のような約束事から自由な詩の可能性を示したのである。それは種田山頭火や尾崎放哉の自由律俳句や、鈴木三重吉らの童謡運動、さらに現代詩につながったのではないか。
ちなみに車谷長吉は「童謡」の漱石を、近代日本の最高の詩人だとしている。

さて、漱石は熊本時代に犬を飼っていた。夏目鏡子夫人の「漱石の思い出」は読んだ記憶はあるが、いま手元にはなく、また内容もほとんど失念している。たまたま「熊本国府高等学校パソコン同好会」の「くまもと文学散歩」というサイトを見つけ、「漱石の犬(大江村401の仔犬)について」を楽しく読ませてもらった。一枚の写真と共に鏡子夫人の「漱石の思い出」が紹介されている。
縁側で漱石と鏡子夫人が火鉢を前に座り、漱石が分けてやった座布団に耳の垂れた仔犬がちょこんと座っている。漱石の左に大柄な書生の土屋と、鏡子夫人の右に三毛猫を膝に抱いた女中のテルが、脚を降ろして縁に腰掛けている。写真の中央が仔犬なのである。仔犬の垂れた両耳は茶色だろうか。左目はパンダのように縁取られているようだ。テルの膝でそっぽを向いた三毛猫以外は、みんなまっすぐカメラを見つめている。仔犬も猫も可愛い。仏頂面の漱石が、仔犬のために少し座布団を分けてやっているのも、可愛い。失敬、微笑ましい。
漱石はその後引っ越したが、この耳の垂れた犬は飼われておらず、替わりに知人からよく吠える大きな犬をもらった。この猛烈に吠える犬は、ある時通行人に噛みついてしまった。漱石は巡査から厳重注意を受けたのだが、「犬なんてものは利口なもので、怪しいとみるから吠えるのであって、家のものや人相のいいものには吠えるはずのものではない。噛みつかれたりするのは、よくよく人相の悪いものか、犬に特に敵意をはさんでいるからで、犬ばかりを責めるわけにはいかない」と反論したらしい。
その後、夜遅くに帰宅した漱石は、この犬に猛然と吠えられ噛みつかれて、袂と袴が破れ、真っ青な顔で家に入ってきたという。漱石は、なかなか楽しい。

厳めしい顔の漱石でも、仔犬に自分の座布団を分けるほどに、動物は愛らしく、人を和ませ優しくするものらしい。アイソーポスやラ・フォンテーヌ、クルイロフの寓話と同じように、童謡や童話にもたくさんの動物たちが描かれる。子どもたちが総じて動物好きということもあろうが、童謡詩人や童話作家たちも、動物を描くことで、ほっこりとした優しい気分を伝えやすいのだろう。

赤い鳥、小鳥、/ なぜなぜ赤い / 赤い実を食べた
(北原白秋「赤い鳥小鳥」)

ソソラ ソラ ソラ 兎のダンス / タラッタ ラッタ
ラッタ ラッタ ラッタ ラッタ ラ
(野口雨情「兎のダンス」)

めえめえ 森の児山羊 / 児山羊走れば 小石にあたる
あたりゃ あんよが あ痛い / そこで児山羊は めえと鳴く
(藤森秀夫「めえめえ児山羊」)

唄を忘れた金糸雀は、後ろの山に棄てましょか
いえ、いえ、それはなりませぬ
(西條八十「カナリヤ」)

烏 なぜ啼くの / 烏は山に / 可愛七つの / 子があるからよ
(野口雨情「七つの子」)

おうまのおやこは なかよしこよし / いつでもいっしょに
ぽっくりぽっくりあるく
(林柳波「おうま」)

揺籃のうたを、/ カナリヤが歌う、よ。
ねんねこ、ねんねこ、/ ねんねこ、よ。
(北原白秋「揺籃のうた」)

証、証、証城寺 / 証城寺の庭は / ツ、ツ、月夜だ
皆出て来い来い来い / 己等の友達ア / ぽんぽこぽんのぽん
(野口雨情「証城寺の狸囃子」)

ちいちいぱっぱ ちいぱっぱ / 雀の学校の 先生は
むちを振り振り ちいぱっぱ
(清水かつら「雀の学校」)

月の沙漠を、はるばると / 旅の駱駝がゆきました。
(加藤まさを「月の沙漠」)

かもめの水兵さん / ならんだ水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波にチャプチャプ / うかんでる
(武内俊子「かもめの水兵さん」)

エッサ エッサ エッサホイ サッサ
お猿のかごやだ ホイサッサ
(山上武夫「お猿のかごや」)

 泉鏡花、島木赤彦、島崎藤村、与謝野晶子、若山牧水も、童謡のための詩を書き、芥川龍之介、有島武郎は童話を書いた。鈴木三重吉から始まった「赤い鳥」運動は、まことに世界に類例のない児童文学運動だったのである。