落語の動物

落語は楽しい。私はまだ二歳か三歳の頃、よくラジオの前に坐って落語を聞きながら、ケラケラと笑っていたそうである。記憶はない。むろん噺が分かって笑っていたのではなく、客席の笑い声に誘われただけのことだったろう。
「ルーシーショー」をはじめとするアメリカのTVコメディで、効果音として大勢の笑い声を入れて視聴者の笑いを誘導する、あの手法と同じ効果で分からないけど笑っていたのだ。
動物が出てくる落語は多い。狸の噺では、上方の「豆狸(まめだ)」「狸茶屋」、狐は「王子の狐」、上方の「天神山」「狐芝居」「吉野狐」、馬は「馬大家」「馬の田楽」「馬のす」(この噺のサゲはよく分からない)、猿は「猿後家」「写経猿」「猿の夢」、牛は「牛ほめ」、犬なら「元犬」などがある。
江戸時代は無論、明治以降にできた噺も古典落語とされ、現代も多くの噺家が演じている。みな演者の工夫によって噺が微妙に異なる。創作・新作落語でも良いものは、いずれ多くの噺家によって演じられ、やがて古典となる。
「猿の夢」は立川談笑の創作落語であろうか。また三遊亭圓窓の「写経猿」は結構しんみりさせる噺だが、彼の創作落語だろう。
上方落語「動物園」はまるで現代落語のようだが、明治の頃、上方の二代目桂文之助が始めたらしい。かつて桂枝雀が座布団から這い出て、四つん這いで舞台袖から座布団まで往復し、賑やかに演じていたが、意外に古いのだ。
この「動物園」は三代目柳家小さん(初代柳家小三治)が東京に移植したとされる。寄席通いを楽しみにしていた夏目漱石は、この三代目柳家小さんを「天才」と呼んだ。「彼と時を同じうして生きる我々は大変な仕合せである」…もう手放しの大絶賛である。

さて、落語は大変ためになる、勉強になるンですな、これが。「牛ほめ」では馬鹿の与太郎が主人公。こいつが牛の尻の穴に「秋葉権現様」のお札を貼り、「屁の用心」というのがサゲです。秋葉原の「秋葉権現」は神仏習合の火防(ひよけ)、火伏せの権現様で、江戸の大火を食い止めるために、遠州より勧請されたンです。秋葉権現から秋葉原という地名ができたンですヨ。ホントためになりますナ。
古今亭志ん生の噺の枕に、サゲ(落ち)には、見立て落(仕草落)、頓知落、考え落、地口落、間抜け落、仕込み落、途端落なんてエのがありまして…と、なるほど。さらに、「河童の川流れ」「ムカデも転ぶ」なんて言い回しを覚えたり、「桂庵(けいあん)」や「果師(はたし)」なんてぇ職業も知る。また「焙炉(ほいろ)」や「明珍(みょうちん)」「高麗の梅鉢」なんてことも知る。勉強になります。「吉原(なか)」や「郭」の仕組みや仕来りも覚える。こういう勉強は今の学校では教えない。昔の学校でも教えませんが…まあ落語なら学べる。そうするってぇと池波正太郎や山田風太郎らの時代小説がよく分かり、面白さが倍増します。
ちなみに、「桂庵」は口入屋、雇人請宿のことで、「果師」は店を持たずに骨董や古道具を同業相手に売買する人「売り果たす人(師)」。「明珍」は代々甲冑や、金物づくりの飾り物等の名工を輩出した家柄で知られる。足利義満の甲冑を作った明珍宗安で第十代なのである。テレビ番組の「なんでも鑑定団」にも国宝級の第○代明珍作が登場することがある。実はつい先日、「明珍」姓の女性に会った。こんな珍しいお名前なので、名工「明珍」家の末裔なのに違いない。

二十年余も前に「ちくまカセット寄席」を買って楽しんできた。「ながら」仕事によく聞いたものである。今は名人達の噺をインターネットの動画で見たり聞いたりする事ができるが、動画だと「ながら」仕事には向かない。このカセットは全て寄席での収録である。久しぶりに引っ張り出して、古今亭志ん生の「王子の狐」「猫の皿」「元犬」を聞いてみた。いやあ、面白い! やっぱり志ん生はいい!
「猫の皿」である。おそらく志ん生は、その日何を演るのかを決めないまま高座に上がったものと思われる。
「え〜どうも私は人のように…なかなか器用にゆかないので…その噺には、こう入ってこう話していくという順があるンですが、私の噺は…上がったところ勝負で入っていく(客席爆笑)」…この間、何の噺をしようかと考えながら喋っている様子なのだ。「…噺というものは、端(はな)はてえと小咄と言って短いところが端で、そこからだんだん長くなっていく…鼠の娘がお嫁に行って、じきに帰って来たンで鼠のお母さんがたいへん怒って、お前はあんな結構なところに行って何で帰ってきたんだい?…うぅでも〜お母さん、あそこの家あたし嫌なンですよ。どうして嫌なの? ご隠居さんがね。…やかましいの? 優し過ぎるのよォ。優し過ぎるのならいいじゃないか。…でも、猫なで声で…なんて(笑)。…升落とし(鼠獲りの仕掛け)で鼠を獲った時代がありましてェ、…獲れたかい? おう獲れたよ、大(でっ)けぇ奴ふん掴まえたぜ! どれ見せて見ろ、なんでェ小せえじゃねえか! 何だと人が獲ったもんに文句あんのかよ、でけえよ! いや小せえ! いやでけえ。小せえ。でけえ。小せえ。升のなかで鼠が、チュー(中)なんて(爆笑)…昔はどこの橋にも橋番てぇものがおりましてぇ」…前座のする小咄を二つ演って、彼は「猫の皿」を上演げることに決めたようなのだ。
この噺に「明珍」も「高麗の梅鉢」も出てくる。それにしても、古今亭志ん生の惚けた語り口と、言葉に詰まって口ごもったような間はいいネ、どうも、え〜。倅の金原亭馬生の語り口はおっとりとしていて、下の子の古今亭志ん朝の語り口は切れがあって良かった。まあ、それぞれの味だあね。

古今亭志ん生は動物好きだったらしい。小鳥やら金魚やらを飼っていたが、あんまり温和しいんで張り合いない。そこで犬を飼ったが、これが秋田犬で、下町の住宅密集地なのによく吠えるし、よく食うし、毎日散歩に連れ出さなくっちゃならないし、師匠は面倒になったらしい。人手に渡してしまったが、やはり動物好き、犬好きは落語にも出て微笑ましい。特に「元犬」は。
「…飼い主がいない野良犬ってえのがおりまして、そういう犬の中に白犬は本当に少なかったそうで。白犬は人間に近いなんて言いますが、いつの頃ですか浅草蔵前の八幡様の境内に、一匹の白犬が紛れこんでまいりまして。参詣の人たちが、ほんとに白だね。エどうだい、おいシロ、真っ白だね、可愛いね。白犬は人間に近いというから、きっとお前は今に人間に生まれ変われるからな。楽しみにしていなヨって、つむじを撫でられたりしていると、シロ公考えちゃって、俺は人間になれるのかね。だけど今度の世だって言ってたネ。今度の世じゃ嫌だね、今なりたいね…その気になって人間になれますようにと八幡様に三七二十一日の裸足参り。犬だから下駄は履いちゃいないけど。…満願の日の朝、一陣の風が吹くと毛が飛んで、気がつくと人間に。うれしいけど、サルマタもねえし裸じゃしょうがないからって境内の奉納手拭いを腰に巻いた。人間になったからはどこかに奉公しないと飯が食えない。でも知っている人は誰もいない。お、向こうから犬の時分に可愛がってくれた桂庵の上総屋の旦那だ。奉公したいので世話してくれと頼むと、何で裸なんだい? 気の毒に悪い奴に騙されたのかい? よし家においで…裏の台所に回って足をお洗い。おい雑巾絞った水を飲むンじゃないよ。その辺の水を拭いておくれ。そうそう、お前這い具合が上手いね。あたしの下帯、着物を用意したからそれを着な。おい下帯首に巻いてどうする。…ご飯をお食べ。何で尻を振るンだよ。よし、変わった奉公人が欲しいというご隠居がいるので、そこにお前を世話しよう。さあ行くよ。そこの下駄をお履き。おい下駄を咥えて振り回すンじゃないよぅ。おい何で猫に唸るンだよ。食いついちゃいけないよ。人間が猫に食いつくンじゃありません。おいッ、何で片足持ちあげて小便するンだよ。後の臭いなんぞ嗅ぐンじゃねえってンだ。
ご隠居さん、今日は真面目そうな変わった若い衆を連れて参りました。ええ、表で敷居に顎のせて寝てるでしょ。…めでたく奉公が叶いまして、ウチには今用事で出ているお元という女中がいるから、仲よく暮らしとくれ。生まれはどこだい? 八幡様裏の、豆腐屋と八百屋の裏。そこはウチの家作だよ。右かい? 左のほう? 突き当たり? あそこは掃き溜めだよ。え、掃き溜めで生まれたの? お父っつぁんは? よく分からないけど、たぶん酒屋のブチだ? …名前は? シロです。白吉かい、白太郎? ただシロなンです。只四郎か、いい名前だネ。茶でも入れよう、鉄瓶がチンチンいってないかい? チンチンはやらないンです、あっしは。変な人だね。そこに焙炉(ほいろ)があるだろ、取っとくれ焙炉。ウ〜ワン!ワン! うわっ驚いた、気味悪い人だね、お〜い、元は居るか? はい、今朝人間になりました。」